【⭐️5】超聴覚者 七川小春 真実への潜入
【超聴覚者 七川小春 真実への潜入】朱野帰子 作:講談社文庫 2015/11/13(個人的評価:⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️)
9歳の時に受けた遺伝子治療により聴覚が異常に発達した七川小春(ななかわ こはる)。それは、3階の病室にいながら1階ロビーにいる両親の会話や、8階レストランでの研究員親子のやり取りを聞き取れるほどに驚異的なものだった。
そのことを両親にも相談できないまま19年の歳月が過ぎ、異常発達した聴覚に悩まされながらも就職氷河期になんとかもぎ取った就職先はブラックな事業者金融。その聴力に目を付けた上司・山田の指示で債務者を追いつめる日々に遂に耐えかね、とうとう辞表を叩き付けてしまう。
即日懲戒解雇。
折しも櫻坂(さくらざか)厚生労働大臣による年金システムの崩壊・国債破綻の告白・謝罪と切腹騒動──後に『櫻坂ショック』と呼ばれるこの一件を境に、ますます若者の就職難は加速、山田の「お前なんかどこにも就職できない」という言葉通り、小春も100社以上応募するもいまだ面接にすら辿り着くことができないでいた。
そんな時、外資系大手製薬会社アスガルズが寿命遺伝子治療『メトセラ』を発表。それは、病に脅かされることなく100歳まで寿命を延ばすことが可能だという、年金受給年齢引き上げ問題に喘ぐ高齢者たちにとって夢のような新薬だった。
これを機に採用枠を拡大するというアスガルズ。
小春がかつて遺伝子治療を受けた際に費用を負担した水口バイオがアスガルズの前身だと知った夫・晶午(しょうご)は、小春に採用試験を受けてみてはと勧めるが──というお話。
正直、読了後に「このタイトル微妙に安っぽくて、もの凄く損してるのでは……😓」と感じたというか、パッと見、特殊能力を駆使した痛快スパイ小説──みたいな内容かと想像していたのですけど、実際読んでみると(10年前に刊行された作品ではありますが)今現在の閉塞感溢れる日本を生々しく描写した、とても濃密な人間ドラマだったなと。もちろん良い意味で。
給料は上がらない、それでも税金は上がり続ける一方、働けば働くほど貧乏になる、妊娠・出産による長期休暇取得の可能性がある既婚女性は就職で不利、高齢者はこれまで散々税金を納めてきたのに支給額が低いと不満を口にし、若者はとても年金を払えるほどの給料は貰えていないと嘆く。
年金だけでは生活できない高齢者が死ぬまで働き続けることを選択し、それ故に若者は就職の椅子取りゲームから問答無用で弾き出されてしまう、若い人材が一向に育たない企業は泥船状態──右肩下がりで将来に不安しか抱けない現代日本の政治経済状況に対する不平不満不信感、今読んでも非常に身につまされるほどのリアリティで没入感が凄まじい。
人間関係にしても、遺伝子治療の副作用で異常な聴覚を得、それに小春が長年苦しめられていることを露ほども知らない母親は、常々「小春も遺伝子治療したけど、何の問題も無かったじゃない」と平然と言ってのける。
就職氷河期に大手に就職できなかったことを嘆き、藁にもすがる思いでようやく得た転職先に「そんな零細企業辞めてしまいなさい」とわざわざ電話をかけ、親族が集まる法事の場で孫をせがむ──そんな身勝手な母との確執も、自分のことのように感じられる読者は少なくないのではないでしょうか(幸いというか、自分の両親は結婚を急かしたり孫の顔を見たいというようなタイプではありませんでしたが😅)。
小春自身も(母の押しつけがましい性格やブラック企業勤めの経験もあってか)気が強そうでいて周りに流されやすい性格だったりと、薄ぼんやりと掴み所のない印象でしたけど、夫・晶午も、優しいは優しいんだけども、ちょいちょい言動に棘や引っかかる部分があったりもする。
全編通し単純な勧善懲悪ものではないし、主人公(小春)にとってそうそう都合の良い展開など用意されてもいない──そういう徹底した生々しさが、個人的には大変好感な作品でした。小春の考え方に共感できる部分も多く、とても面白かった。
⚠️以下、ネタバレ注意⚠️
唯々嫌なパワハラ上司、という印象しかなかった山田が、久し振りに再会した小春との会話で見せた意外性というか、ある種正論にかなり面食らったというか。
だから、ろくでもない債権者は容赦しなくても(自死に追いやっても)構わないのだ──ということでは勿論ないけれど、確かに、自分の借金苦を理由に自分自身が死を選ぶならまだしも、妻子まで巻き込む必要はなかった、遺す妻子の為に死ぬ前に自分に生命保険でもかけ借金をチャラにするくらいの甲斐性は見せろ、というのは最もな話だと思うし、しかし、それをまさか山田の口から聞くことになろうとは……と。
また、この件で小春が「自分と海野がどちらも助かる道」を訊いたにも関わらず「海野を裏切り密告しちまえ、じゃないと自分が殺されるんだろ?」とけしかける山田のブレなさも、自分的には予想外の展開でしたが──この流れなら本当にそんな都合の良い策を山田が示してくれるかも? まさか山田が小春の救世主になろうとは……と僅かな希望を抱き読み進めた挙げ句の、この非情さ。ご都合主義に走らず山田というキャラの芯を通した、秀逸な展開だったなと個人的に唸りました。
他方、個人的に一番苦手だったのは(黒崎や海野、詩子とか、他にもいるんだけども)実は夫の晶午。
何かしら毒をはらんだ登場人物ばかりの本作において、非常に貴重な、絵に描いたような良い人で、何かと衝突しがちな両親や親族と小春との間に入る緩衝材の役目──とはいえ、少々事なかれ主義に過ぎるというか。特に自分は小春の考え方、日本政治に対する不満に共感しっぱなしだったので、それを否定的に捉え窘める晶午の言動には度々鼻白んでしまったかも。
もっとも、彼の言い分や考え方にも一理あると思うし、実際、自分(小春)の方が身勝手で大人げない考え方なんだろうな、とも思うんだけども。
何より、時折小春に対し不信感を抱いているような描写もあったので、どこか腹の底が読めないというか、ひょっとして晶午が黒幕(?)と繋がってる可能性も!? なんて邪推もしたのですが、結局のところは唯々小春のことを心配していただけだった、という徹頭徹尾良き夫ぶりに、最後の最後でようやく安心することができたのでした😅