【⭐️4】幽霊人命救助隊
【幽霊人命救助隊】高野和明 作:文藝春秋 2004/4/7(個人的評価:⭐️⭐️⭐️⭐️☆)
高岡裕一は世界史の年表を暗唱しながら、ひたすらに断崖絶壁をよじ登っていた。
何故、自分はTシャツにジーンズという軽装でフリークライミングに挑んでいるのか、この絶壁は一体どこまで続くのか、いつまで経っても日が暮れないのはどうしてなのか──
そうしてようやく辿り着いた頂上で、裕一は3人の男女に迎え入れられる。
ここはどこなのかと問いかける裕一に、天国だ、と答える3人。
何の冗談かと困惑する裕一の前に、突如として赤い落下傘が降りてくる。
ジャンプスーツに身を包んだ老紳士は自らを『神』と名乗り、『馬鹿な死に方をした』裕一ら4人に、天国へ逝きたいのなら、これより49日の内に100人の自殺者の命を救えと命じるのだった──というお話。
上記の通り、初っ端からぶっ飛んだ展開に置いてけぼり感が凄まじく若干の不安を覚えましたが、いざ読み進めてみると、コメディの趣がありつつも基本は鬱病や自死など、現代人の病んだ心の内に焦点を当てた社会派な内容。
流石に救助者100人全員分のエピソードが語られる訳ではありませんけれども、それでも、かなりのエピソード数があり、ひとつひとつ考えさせられるだけではなく、それが実は後の布石や伏線にもなっていたりと、非常に読み応えがありました。
この作者は、【13階段】や【K・Nの悲劇】【ジェノサイド】など、他作品を読んでも感じるに、とにかくリアリティへの拘りが強いというか、下調べや取材を徹底的にされる方のようですね。
本作でも、借金苦で自殺しようとするケースに際し、実際に家族を残し自死するとどうなるのか、死亡保険金支給はどうなるのか等々、法律面などからもかなり詳しく描写されてますし、樹海で自死し発見されなかったご遺体がどんな状態になるのかなども、活字を追っているはずなのに酷い映像を突きつけられたかのように目を背けたくなる現象に見舞われました。
この作者の作品は、いずれも明確なテーマ性──現代が抱える様々な問題を問いかけるような──があるので、キャラやストーリーの個人的好悪はさておいても一読の価値があるのではないかな、と改めて感じた次第。
他方、【グレイヴディッガー】同様、至極シリアスで重いテーマでありながら、ユーモアもふんだんに盛り込むスタイルは賛否両論ありそうかなぁ、などと。
メインの4人(浪人生の裕一、老ヤクザの八木、気弱なサラリーマン風の中年・市川、気怠げな妙齢の女性・美晴)は生きてきた時代が違う(70年代、80年代、00年代)ため、会話でもジェネレーションギャップが発生しがち。
八木が差別用語を常用したり、「そんなバナナ」「冗談はよし子ちゃん」「話が山手線」などといった懐かしいギャグが飛び交ったり等々──
当初こそ、人の生き死にが掛かっている緊迫した場面で突然これら死語化したギャグをかまされたりする流れに「ええ……(困惑)」と引いたりはしたものの、読み進めるにつれ、いつの間にか4人の漫才の如きやり取りも心地よくなり、それぞれに愛着が湧くのも不思議な感覚。
本作に限らず、漫画やアニメ、ゲームなんかでもシリアスとギャグの塩梅って本当に難しいと感じるし、どのあたりを『良し』とするかも人それぞれではあろうかと思いますが──この作者はかなりギリギリを攻めているというか、辛うじて不謹慎と一蹴されない範疇に何とか止(とど)めている、という印象ですかね。
◆ ◆ ◆
余談ですが、先のジェネレーションギャップな会話の話、あれってもの凄く難易度高いんじゃないかなと思うんですよね、個人的には。
というのも自分、仕事で同人文芸誌を手掛けることがあるのですけど、意識する・しないに関わらないのか、作者は自分の体験・経験則を元に作品を書きがちなので、どの(互いに関連性のない)作品でも登場人物が皆似たような設定であったり、ご高齢の執筆者の作だと、現代日本の若者を主役に据えているはずなのに、名前や言動がやけに昭和初期~中期がかっていたりする。
かくいう自分も、例えば主にキャラ名や台詞を考えるに際し、作品の時代背景やキャラ年齢などとすりあわせ違和感がないよう、それなりに調べるようにはしている──ものの、どうしても最先端の若者感覚に追いつけない感は否めない(ようやく理解したと思ったら既にそれら情報は過ぎ去ったものと成り果て、世間は早、次の段階に移行していたり)。
もっとも、青春真っ只中(10~20代)の頃でさえ流行だ何だには全く興味関心の無かった人間なので、自分の場合は年齢云々というより元々の気質の問題なのでしょうね(^p^;)ゞ
ともあれ、情報を最先端のものにアップデートし続けるには、常に様々なことに関心を寄せアンテナを張っていないとならない。
何事も、自分の興味関心のある事にしか目を向けない自分には、創作に必要なスキルと頭では理解しているつもりでも、実践するには大変に難しい事だなと感じるのでした。
◆ ◆ ◆
……と、随分前置き&余談が長くなってしまいましたが😅
⚠️以下、ネタバレにつき閲覧注意⚠️
まず、裕一たち幽霊の特質? がなかなかに複雑怪奇なんですよね。
例えば、幽霊にも関わらず建物などの壁抜けができないので、開いている扉や窓から出入りしないといけない。でも、人間(生者)や植物はすり抜けることができる。
この可否の差は一体何なのか? という点に明確な説明が(自分が記憶する限りでは)無かったので、うーん、なんだろうなと。有機物と無機物の違い?
壁抜けできたり空を飛んだりできたら本作の人命救助の道程その困難さの殆どが一気に解消されてしまう(※裕一たちは浮くことも空を飛ぶこともできないので、高所から落下すればしばらく動けなくなるし、長距離移動には電車や車を使う)から、敢えて制約を設けてみた……というような、言うなれば『作者のご都合主義』的な設定に感じられてしまうというか。
あと、触覚や味覚、色欲も失われているのに嗅覚だけ働くのは何故? と一瞬思ったのですけど、朧気な記憶の中を探るに、死者と匂いを関連付ける逸話か何かがあったよう、な……? でも、いざ調べてみてもちょっと見当たらず、何せ私は自分の記憶力を信用していないので()うーん、どうなんだろう。
ただ、自分のその記憶が記憶違いでなければ、あるいは『死者が有機物は擦り抜けられて無機物は擦り抜けられない』というのも何らかの……根拠? 霊的原因? とかがあるのかもしれませんね。この作家さんは、いずれの作品においても下調べを徹底されていらっしゃる印象ですし、そうでなくとも、デビュー前の作品応募先を風水か何かで決められたという話もありましたから、多分、そちら方面には元々かなり明るい方なのではないかと。
他にも面白いなと思ったのは、幽霊人命救助隊たちの主力装備たるメガホン。
(単行本版の)表紙イラストにも描かれていたので、本文読む前から「何故にメガホン?」と気になっていたのですが、まさか、このメガホンを通じ生者に語りかける(叫ぶ)ことで、ある程度生者の思考や行動をコントロールできる──裕一らの声掛けが実際に聞こえる訳ではないものの、例えば「右に曲がれ」と命じられた者は、ふと思いついたように右に曲がってしまう、というようなイメージ──とは。
このメガホンを手に、救助隊の面々が必死になって自殺志願者に「死ぬな!」「生きろ!」と叫びかける様子は何とも滑稽だな……つか、何故にメガホン? これじゃ救助隊ならぬの応援団なのでは? 等と何とも言えない気持ちになったのですけど──
ただ自分も時折、唐突に、何の脈絡もなく、ふとした思い付きで思いがけない行動をとる事はある訳で、あれってひょっとして、自分の耳元で幽霊がメガホン通じ働きかけてた……ってコト!? と思うと、何だかとても面白い。
こういった幽霊の奇妙な特質? は、読み始めた頃こそ滑稽だったりチープに感じられていたのに、いつの間にか設定としてすっかり馴染み、すとんと腑に落ちてしまっているのは、この作者の成せる技……なんですかねぇ?
とにもかくにも、自殺者の救助活動を通じ、自らの生き様・死に様を否応なく突き付けられる救助隊の面々たち。
裕一の、両親に対するわだかまりの解消には不納得な部分もありましたけど(自分に対する接し方を赦すのはともかく、母を侮り赴任した先々で都度愛人作りまくってた親父に対し、特にそれを咎めることなく「母さんと妹と幸せになってくれ」ってのは何だかなぁと)視野を狭めることなく冷静に周囲を見渡すこと、自分だけでなく他者の視点で物事を見極めること、その大切さを改めて考えさせられたと同時に、今度は同じ時代に産まれた4人が、救助活動を通じ様々な死と出会い見詰めてきた彼らが、今生ではどのような生き様を描いていくのか──
今度こそ生を全うするのではないかな。
そんな幸福な未来を予感させる、余韻のある良い終わり方でした。