【⭐️2】珈琲店タレーランの事件簿 また会えたなら、あなたの淹れた珈琲を
【珈琲店タレーランの事件簿 また会えたなら、あなたの淹れた珈琲を】岡崎琢磨 作:宝島社文庫 2012/8/18(個人的評価:⭐️⭐️☆☆☆)
純喫茶〈タレーラン〉。
恋人と喧嘩したアオヤマは彼女を追いかける道すがら、京都の小路の一角にひっそりと建つその珈琲店にふらりと立ち寄った。
若き女性バリスタ・切間美星(きりま みほし)の淹れる至極の一杯に衝撃を受けたアオヤマは〈タレーラン〉に足繁く通うようになるのだが──というお話。
盗まれた傘の行方や遠縁からの浮気調査依頼など、いわゆる人死にのない日常系ミステリ。
バリスタとしての腕が超一流であるのみならず、聡明で洞察力もある切間が様々な難問を鮮やかに解決してゆく……というふれなのですけど、正直、設定ほど聡明さを感じられないのは多分に、親父ギャグレベルの駄洒落を連発したり、真相を突き止めた際の(例えば「じっちゃんの名にかけて」や「真実はいつもひとつ」的な)決め台詞らしい「その謎、たいへんよく挽けました」の意味不明さ故か。
珈琲豆をハンドミルで挽きながら推理を巡らせる、という行為自体は(集中力を高めるだとか余計な思考を遮断するといった効能があると考えれば)兎も角としても、「謎が解ける」をして「豆を挽く」ことにかけ、この決め台詞に辿り着く思考がまったく理解できない。
作者の言葉(言い回し)のセンスは他にも「何だそれ?」と首を傾げるようなものが散見され──
例えば軽い驚きや戸惑いの際、思わず口を突いて出る「あっ」という声をして、いちいち「あ、と短く五十音の先頭を発した」と表現するのも本当に蛇足感が凄まじい。作者が独自の表現方法を探った結果の言い回しなのか、とは思うものの、その言い回しに特段深い意味が込められているとも思えず、かといって知的言葉遊びの類いとも到底思えない。
分かりきった、説明するまでもない事柄を敢えて書き連ねることにより、果たして作品にどのようなメリットがあるのだろうか?
そうでなくとも、地の文は主人公・アオヤマの一元視点で書かれているため、彼の軽薄さや浅慮さがいちいち鼻について仕方ない。虚を突かれる度「んぐぁ、と喉の奥を鳴らした」り、切間にすげなくされる度「手を繋いでやろうか」とセクハラめいた発言を心中繰り返すのも本当に不快だった。
作者的には受け狙い、あるいはユーモアのつもりだったのでしょうか。全力で空回ってる印象しかありませんが。ひたすらに面白くない、ただただ寒いだけ。
その他、切間の大叔父やアオヤマの元カノなど、登場人物大体が終始好感度超低空飛行な印象を個人的には受けたので、巻末、作家で本作の選考に関わった某氏が「絶賛されたキャラクター造形」と綴っていたのには首を捻るしかなかった由。
まあ……好みは人それぞれ、感じ方も千差万別、ですもんね……うん。
⚠️以下、ネタバレ注意⚠️
中盤まではほのぼの(?)進んでいたのが一転、第五章終盤から突然不穏な空気が漂いはじめ──この終盤の展開〜結末を高く評価された方も多いようですけれども、個人的には、ここに至るまでのアオヤマその軽薄さに散々うんざりさせられていたので、突然のシリアス展開にも「いやなに急に真面目ぶってんの」と滑稽さの方が勝ってしまい、一層白けてしまいました。
挙げ句、切間の身を守る為にも二度と会わないと悪役になってまで縁を絶ちきろうとしたのに、エピローグであっさり再会してるし。おかげで散々悲劇の英雄ぶったあれこれも只の茶番劇、猿芝居にすっかり成り下がり、作品もアオヤマも評価は下がる一方。
そうでなくとも、叙述トリックのつもりらしい第三章も騙す騙される以前にただただ分かりづらく読みにくいだけだったり(仕掛けが判明した後も、わざわざ確認のためもう一度読み直そうとは微塵も思えなかった)全編通し、不快に感じるポイントは多々あれど、話の展開が面白いわけでもくすりとできるユーモアが盛り込まれているわけでもなし。
文章自体は比較的平易で本来なら読みやすい部類の文体であろうにも関わらず、ちょいちょい「ちょっと何言ってるのか分からないです」的奇妙な言い回しや終始興味の薄い展開に集中力が保持できず、読み終えるのに随分時間がかかってしまいました。
その場凌ぎの取って付けたような即席感満載の展開による浅い内容からして星1評価が妥当かと思ったのですが、胡内(こない)の「人の心をもてあそびやがって」の件は色々と考えさせられたので、星1つ加点。
とはいえ、本作がデビュー作である事や現在も続く長編(人気作?)となっているらしい事を鑑みても、自分は続刊を読みたいとはとても思えないかな。アオヤマと切間の恋路(?)を応援したいなんてとても思えないくらい、アオヤマが魅力皆無のしょうもない男過ぎて何とも……いえ、個人的には切間にもまったく魅力を感じませんけれども。