【⭐️0】ジョーカー 涼
【ジョーカー 涼】清涼院流水 作:講談社文庫 2000/5/1(個人的評価:☆☆☆☆☆)
⚠️酷評、ネタバレ注意⚠️
【ジョーカー 清】の続編。
数行読み進める度に突っ込まずにはおれない欠陥だらけのシナリオと、地の文からひたすらに溢れ出る作者の自惚れ振りと悪ふざけに終始イライラさせられながらも、何とか読了。
ひと言。
ただただ、酷い内容だった。
星1つも付けなくない。
自分は図書館で借りたので、少なくとも金銭的損失に関しては無傷ではありますが──それでも、本巻含め3冊読むに費やした10数時間を返せと言いたい。「読み終えた後、本を床に叩き付けた」というレビューも複数見かけましたけど、心中お察し。
知己もユーモアもまるで感じられない『布団が吹っ飛んだ』レベルの駄洒落の応酬、過剰に過ぎる言葉遊び(とも呼べないようなこじつけ文章)、その割には貧相な語彙力(何かと何かが触れ合う描写に必ずと言って良いほど「接吻/キス」という比喩を用いる、絶世の美丈夫をして、その美しさを表現するに「美しい顔」「美しい容姿」「美しい声」と『美しい』一辺倒でごり押す等)、事ある毎に「読者が言いたい事はちゃんと分かってる」と言わんばかりのメタ的自己弁解による読者からの批判牽制、それどころか、中盤以降は読者を貶めるような発言まで散見されるようになり、お金払って読んでくれてる読者に何たる暴挙かと憤慨。
本シリーズは一応もう1冊(【コズミック 水】)残されているのですが、流石に付き合いきれないので、ここで切り。
それまで散々トンデモなこじつけ推理披露しては、まるで密室の謎も解けず犯人も告発できなかった(作者曰くの)『日本が誇る超有能探偵』が、一般人の推理に対し「それは推理でも論理でもなく、ただのこじつけよ」等と盛大なブーメランを投げた件は噴飯もの。
地の文で『流石、些細な手掛かりも決して見逃さないJDCが誇る有能探偵らだからこその手腕』等と謳いながら、実際には古い釘が新しい釘に打ち替えられていたという、とてつもなく分かり易い手掛かりをあっさり見逃し完全密室だの謎が解けないだのと騒ぎ続けるザルっぷり等々、これはもうむしろ狙ってギャグにしているのかと疑ってしまう程。
己の無力さに葛藤し、クライマックスにはあたかもその苦悩を乗り越え成長を遂げる──かに見せかけて、何の見せ場も活躍も無いままあっさり退場させられ(殺され)てしまうキャラもままあり、まるで「こいつ後々活躍すると思った? 残念でしたー、そんな在り来たりの展開なんて自分は書きませ~んw」と作者が読者を嘲笑っているように思われ、何だこれと。だったらもう、このキャラこの話に全然必要じゃなかったよね?
そんな調子で被害を防げず主要人物全員殺された後になって、今更(作者曰くの)日本が誇る超有能探偵らが「こうなる(被害者が更に増える)事は予想していた」だの「実は密室の謎は既に解いていた」だのと、後出しじゃんけんする意味も分からない(一応、作中それらしい言い訳は用意されてますが、到底納得できる言い分ではない)。
こうなる予想が本当に出来ていたなら、何故、常に最悪の事態を想定し被害を未然に防ごうと動かないんですかね……? 暢気に茶会なんて開いてる場合ちゃうやろ、お陰でほいほい毒盛られお仲間2人も殺されたんやぞ。
そんなこんなで、事件を無駄に引き延ばした挙げ句、真相究明編で探偵役が「この謎は解けない、奇跡の所業」等と推理を放棄しただけでなく、あまつさえ往年の探偵小説その登場人物の弁を引用し「探偵小説に意外性を求めながらリアリティをも求めるのは虫が良すぎる」と、広げた風呂敷を畳めない作者自身の無能を棚上げした読者批判。
真相は決して読者に分かるはずもない、「なんとなく分かったつもり」と「真相が分かった」は全くの別物だというのに同等に捉える馬鹿な読者が多い等と煽り散らかす始末──
百歩譲って、作者の自惚れが過ぎても話の内容が読むに耐えられるものであれば未だしも、ページめくる毎に感情がリセットされてるのかと思える程に情緒乱高下な登場人物たち(極親しい身内や知人が次々殺され失意の直中にありながら、幼い子と話してるだけで突然「希望は絶望に打ち勝つのだ!」と悟りを開き心穏やかになったり、数時間前に発生した殺人事件の現場検証時に巡回中の警官に何の脈絡もなく突然ウインクを送る女探偵とその色香にどぎまぎする警官等々、とにかく本作は空気詠み人知らずであたおかな登場人物しかいない)、散々思わせ振りな語りで引き延ばしておきながら、ようやく明かされたトリックは『天才的犯罪芸術』とはとても呼べない陳腐なものか、「奇跡でも起きなければ無理」と解決を丸投げ、或いは「あれは殺人ではなく単なる事故/自殺でした」等と、唯々読者の期待と予想を裏切ればいいってものじゃないでしょうよと。
作者は本作をして『意味のない定義をぶち壊すファイナル・ミステリ』と称していましたが、【ヴァン・ダインの二十則】や【ノックスの十戒】が今なお推理小説の指針とされているのには、そうたり得る理由が確かに存在する訳で──(勿論、その基本原理を敢えて無視した上で名作を生みだす作家も存在する事は重々承知の上で)
所謂、『王道否定派』と言うか、王道が王道たる理由に考えを寄せることなく、とかく「他の人が考えつきもしない(=実際のところ、考えついても敢えてやらない、やりたがらない)奇抜なストーリーを考えちゃう自分すげぇ天才!」という典型的な勘違いタイプなのだろうかと、唯々辟易しながら何とか(後半はもう殆ど飛ばし飛ばしに)読み終えたのでした。
……作品の善し悪しは個々の解釈・嗜好性に大きく左右されるだろうから、自分が理解できないというだけで作品を全否定はできないのだけれど──ホント、この作品を好意的に受け取れる読者は、一体これのどこを評価されてるのかと、純粋な興味で伺ってみたい所存。
界隈に変革をもたらすには、こういった異端児の存在も時に必要なのでしょう。
それでも、自分は作品にも読者にも真摯に向き合ってくれる誠実な作者の作品を読みたいなと、つくづく感じた由。